昭子生誕の地、榎原も新日鉄住金和歌山製鉄所近隣に位置し、激しい空爆の余波を受ける。
1945年7月9日、21時過ぎ、ウーッ、ウーッ、...。途切れては鳴るその警報音。
寝つきにむずかる昭子をあやす母静子の胸にハッと不安が過る。近日何回となく体感していた
警報音。静子は恐怖におののく。防空壕に身を隠す下準備が脳裏をかすめた。オムツに着替え
の下着に懐中電灯に水筒への水。眠りについた昭子を見届け、静子はそっと居間へと向かう。
ラジオのスイッチを入れる。雑音にかき乱されるアナウンスの声。受信つまみをつまみ操作する。
「…飛行機は紀の川より沖の裏に抜け北上...」
アナウンスに従うかのように空からの轟音は引き潮のごとくに消え行く。
一難去った静子は安堵し、昏睡する昭子の側へ添い寝にと布団へ入るのだが…そのつかの間
のまどろみ、まさに死に際の水に等しきものだった。
朦朧とした意識、意識は覚醒するとともに喜びへと変わってゆき、親族や友人に囲まれたその
中で、文太夫が静子の手にそっと指輪をはめ喝采の拍手があがる。突如拍手は強烈な爆音へと
変わってゆき、静子は衝撃的に目覚める。ドッカーン、ドドドドドッ、シャシャー。外からの喧騒、た
だならぬ不気味さがあった。身の危険を感じた静子は咄嗟に起き上り、眠っている昭子をすばやく
抱きかかえ、速やかに後ろ回しに背負い、用意した手荷物をかかえ持ち、祖母に声がけし駆け足
で防空壕へと向かった。轟く爆砕音。空に生えるその閃光。
静子は迫り来る空襲の恐怖におびえ、ひたすら急ぐ。近づき、暗い防空壕入り口付近にうごめく
人の姿。おもわず後ろに着いて来ている筈の祖母を顧みる。姿がない。立ち止まって暗闇の中に
目をこらし、なめいるように探す。喘ぎながら来るその姿を見つける事が出来、ホッとして間もなく、
防空壕の中へと入る。むさくるしさが漂い、おっかけ祖母も入って来るのだが、定員に満ちる所の
ようであった。というよりか満ちていたのかも知れない。
静子は顔見知りでない隣の人に頼み込み、祖母を招き寄せ、祖母は息切れを沈めながらただ
一言「怖い」とだけ静子に漏らしうずくまるのだった。
爆撃のすざましさは地響きと共に聞こえてくる。壕の中、全ての人は黙りこくり、現実にならない
ことをただひたすら祈っているかのようだった。
しかし、とどまることなく近づいてくる爆撃。
静子はオンブしていた昭子が目を覚まし、泣きだしたのをなだめるかのように、胸に抱き包みあや
す。さらに爆撃は近づいてき、その都度静子は緊張に身を引き締め、又緩め…と、突如物凄い激
震にみまわれ叫び声があがり、壕の奥は壊れ、悲鳴の渦が沸き起り、子どもたちは泣き叫びパニ
ック状態と化す。
瞬時のその時が過ぎ、大人の意識は皆出口に注がれ、出口付近にいた静子と祖母は、一瞬脱
出したものかどうか戸惑う。煙は蔓延し、その息苦しさから本能的に身の危険を察し、先にでた人
の後に従う。幸いなことにこの爆撃が最後になったようで、攻撃機の轟音は瞬く間に遠のいてゆく
のだった。
数日の後、この空襲のむごさ、凄惨で恐ろしかったこと。静子の友人は身をこわばらせながら、
今起きたこと、とばかりのごとくに話し始めるのだった。
「しずちゃん、あんたもわかると思うんやけど、飛行機の轟音がして、警報音が鳴って、寝床に入
ったばかりの私らだったんだけど、避難を、と起きあがり、決めた所定の場所へと家を出たの。とこ
ろが瞬く間に飛行機は近づいてきて、バラバラバラバラ…、と爆弾を落とし、物凄い音、ヒュッヒュ
ッ、と飛び散る破片、焼きつくような爆風がさっと吹き荒れ、一瞬頬が焼けるかと思ったの。上の子
、お姉ちゃんの和子はその時、ガン、と破片が頭に当たって血が飛び散り、バタッと倒れ、そのま
ま...。」彼女は泣きじゃくり「だれがはじめ、なんで和子がこんな目に…」とただただふせぎ泣くの
だった。
昭子は2歳という幼少にありながら、この時、防空壕内での息苦しかったこと、今もなお心に焼き
付いて離れない、というのだが。
この戦乱、国土は狭く資源の乏しい、それでいて優秀さを誇る日本人、おかれた国際情勢の中
、指導層が持つ人間の煩悩。“戦争により戦争を養う”という実利と支配欲を満たす欲望に引きず
られた思想によって起こされた大戦。敗戦か続戦か、苦悩している時期でもあった。しかし、一ヵ月
後の8月6日、世界初原子爆弾の広島への投下。その3日後、長崎への投下と続き「私の身はど
うなってもいい。国民が皆殺しになったのでは...」と天皇陛下の英断による玉音放送が流され
終戦。
文太夫の渡台をさかのぼれば、朝鮮半島の統治権をめぐり清国と起きた日清戦争、その戦勝に
よって日本が割譲を得た台湾統治につき同化政策がとられ、教育に占める比重には大きなもの
があって、その一翼を担うべく日本人教師として、1942年(昭和17年)彼は台湾へ赴任。昭子生誕前年度の志願だったとは言え、静子にとって初産に、夫である文太夫が居ないことには心細さ
の混じる不満を募らせた時期もあった。そんな彼女を気遣わない文太夫ではなかったが、律儀な
彼は私情を殺し、そして旅立ち終戦となって帰国する。
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