何よりもピアノ演奏を楽しみにし、それを生きがいのようにしているせい先生にとって、他のことは余程のことでない限りこだわりを持たれることはない。レッスンの付き添いについても、誰が着いてくるのか、ほとんど関心のないことであった。そのようなせい先生であったからなのか、昭子が来着しているにもかかわらず、演奏にふけって気付かれず、ことのほか待たされることもあった。
あるレッスン日のことである。文太夫に付き添われた昭子。母静子から文太夫に代わって数回目。バス降車後、なじみのある道を徒歩でせい先生宅に向かう。隣家の道角に差しかかって、かすかにではあるがとつとつと聞こえてくるピアノ音。近付くにつれピアノ音は連なり、音楽として昭子の気を引く。ラジオ放送で聞き覚えのある、弾きたかった曲、ショパンの革命エチュードであった。突き上げるようなフォルティシモ、迫りくるリズム、かと思えば静かだが緊迫を思わせる旋律、重厚な和音。
清楚な先生からは想像もできない激しい演奏である。声をかけても聞こえないのか、せい先生の母は留守なのか、黙ってあがりレッスン室のドア前まで歩みを進め弾き終わられるのを待つ。
曲は革命の激動を凝縮するエネルギーの爆発、フォルティシモで終わった。聞き耳を立て無音の間をおき文太夫はノック。室内にせい先生の動きがあってつかの間の後ドアは開けられ、せい先生は活動の後のあの晴れやかな様子で「あらー、お待たせしたんと違う?」
急に申し訳なさそうな表情を示され手招きで中へと示され二人は入る。
昭子も弾きたい大曲。後半からであったとは言え、それも自分にとって身近なせい先生の演奏、いささか気持ちに高ぶりがあった。「さっそくレッスンを始めましょう」先生は言う。「それにしても昭子ちゃんの進み具合早いんよね、先生これから先の昭子ちゃん楽しみなん」
レッスン前のこのちょっとした話し、準備に費やすわずかな時間、昭子の気持ちはおさまっていた。