「それでは昭子ちゃん」先生の指示に、昭子は教壇の左横に置かれたピアノの前に弾く姿勢で腰かけた。昭子の見える位置に立つ先生、目線を交わし昭子は弾き始める。
ミファソーソ・ソーードと、一度の和声で始まるワルツ風のリズムを弾き始め、前奏の最後小節、オブリガート部を実に自然に、メロディを誘い出すに相応しい弾きこなしで終える。
透明な細い、ややもすると神経質に捉えられるかもしれない先生の歌声、しかし歌い進むにつれ、柔らかく膨らみのある声へと変わってゆく。
“はるかに見える 青い海 お船がとおく かすんでる”何かを回顧する幻想の世界にすい吸い込まれるように終わった。
曲に相応しい静かな拍手。昭子は大勢の人前で初めて弾く緊張から、弾き終わった安堵に笑みを浮かべ、ちょこんとみんなにお辞儀をし、自席に戻った。
注目のなか、代わってB子が弾き始める。昭子に較べ音量があり、一見聴き映えがして生徒達の中にはやはり、という印象を受ける者もいたであろうか……。
聴き入る昭子、自分の演奏スタイルとの違いに違和感を抱く。
前奏の終わり部分、合唱の始まるあたりでのリタルダンド、昭子からみてその部分の呼吸合わせの歌いまわしもなく全て同じ一本調子。全体的に味気ない演奏に受け止められ終わるのだった。替わって得意とするというよりも昭子の好きな曲、ベートーヴェンWoO59番「エリーゼのために」、いよいよである。
アウフタクトE音で始まり、問いかけ応諾を求めるかのような、愛しく繊細な旋律、その繰り返しは欲求を深めさらに促すかのような気分の高まりへと変わってゆき、はたと我が身を振り返り、反省に基づいた落ち着きと願いに、そして希望を見いだし終わる。
喝采ではなく、こみ上げてくる渦潮のような拍手が室内を包み、弾き遂げた昭子はほっと一息つくのだが、室内の雰囲気から自分の演奏への評価に違和感を覚える。
「十分に弾けたはずなのに。」昭子はもっと全面的に受け入れられる拍手のあることを期待していたようであった。