田園のソナタ(3)

「この曲はベートーヴェンの抒情的な性格のあれこれが錯綜しているなか、旋律豊かで副次的声部に感情豊かなエピソードを冒頭楽章と最終楽章に満たしながら造られた曲なの」
昭子は楽譜を、秋子先生はその楽譜と彼女を見かわしながら説明を続ける。
「まずは冒頭から出てくる24小節のオルゲルプンクトをなすレ音、連続して弾き続けられるようになっているわけですが、この部分、途中途切れてはまたすぐに出てくる、という例えばベートーヴェン自身が作曲した曲の《バイオリン協奏曲》第一楽章の再三繰り返されるティンパニーの連打の場面と同じ所のようで・・・。」
考える束の間の時を置き、
「いったいこのことが何を意味するのか、ということについてあるピアニストの言う所によれば、『第一主題の発展動機を導入する』機能をはたしていることになる、というわけね・・・」
秋子先生は手で楽譜のその部分を示し、「しかし、このオルゲルプンクトの冒頭部分については、さまざまな解釈があって、そう易々と結論を引き出すのはむずかしい。」
先生は昭子を見、一呼吸を置き、
「とりあえずはここをどう弾きはじめるか・・・。貴女には貴女なりの考えもあるでしょうし、あって当たり前のことだし、ただ今、貴女が先ほど弾くのを聞いた限りの印象では、それほど何か考えがあってこのように弾いている、というふうには聞こえませんでしたね。」
昭子は言葉もなく秋子先生の言われるがままを承諾のそぶりで受けとめた。
「確かに曲の細々とした一義的な部分の特色を取り上げて問題化していけば曲全体の構成から見て、差し出がましいことを指摘していることにもなりかねない。ですから、周縁のところどころの動機にあたる部分を意識的に抒情的にぼやかすことも、ここの所では必要なことではないでしょうか。そのことが、また、この音楽の核心をなす実体にいろんな限界を繊細に隠し覆すことになり、弁証法的というよりはむしろアイデンティティを意識的に流しておくことが時には交響曲的豊かさをみせ落ち着かせることになる。弾く人達がそこにどのような自分の考えを持ち込み表現するか、そのことがそれぞれの演奏の違いとしてあらわれる。そう言えるのではないでしょうかね。」
時に起立し、ピアノに身をもたせかけるような姿勢で譜面台の楽譜をめくったり、気にとめる部分を指で指し示し、熱意をもって説明をする。
秋子先生がその姿勢を止め『さぁー、これから弾いてもらいましょうか』といわぬばかり、一呼吸置くそぶりを示した。

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