小説 田園のソナタ(12) 2024年9月2日 聖先生は、昭子の母親が教員であり、 彼女の能力からしてバイエルピアノ教則本を最初からさせるには無駄がありすぎる、 そのことを踏まえられ、 「昭子ちゃん、貴女にこの教本を最初からさせるのでは無駄がありすぎることになりそうね」 そう言って近づき、広げられた本のページを、パラパラっとめくり54番を指さし、 「ここからちょっ...
小説 田園のソナタ(11) 2023年3月27日 それにしても、聞き覚えと楽譜のおねだりのみでレパートリーを増やしてゆける、仕上げは別にしても、尋常にない能力を秘めた子であることは確かなことであった。 そうであったが故にか、与えられこなさなければならなかったバイエルはつまらなく、いっときも早く仕上げてしまうべく、思いをきりかえた昭子であった。 初回レッスン日。 「い...
小説 田園のソナタ(10) 2023年3月2日 持ち前の愛らしい笑みを浮かべ、軽く会釈の礼をしめされた。 「ところで昭子ちゃん、貴女、聞き覚えで、なんでも弾いちゃうんだってね.お母さんから聞いたわよ. なんでもいいから、ちょっと先生にも聴かせてみてくれない?オルガンで弾くのとは違うかもしれないけど、これからのレッスンでは、いずれにしてもピアノなんだから」 昭子は頷...
小説 田園のソナタ(9) 2023年2月8日 「ごめんくださーい。」 「はーい、少しお待ちくださいませ。」・・ その潤いのある声の返答に、母静子は頷くように昭子を顧みる。玄関前に佇む二人。中から微かな足音。近づき 「お待たせしました」と同時に引き戸が開けられ、顔を見合わせるなり静子は 「聖先生でいらっしゃいますでしょうか」と確かめるように見、聖先生は頷き静子は深...
小説 田園のソナタ(8) 2023年1月18日 すると、昭子はオルガンの鳴り始め、その歌の歌い廻しに合わせ、頭をわずかに上げ下げ、 掌を自然にむすんでひらいて、と動作しはじめるのだった。 こうして始まったピアニストへの第一歩、物の好きは上手なれ、の言われのごとく、昭子にとってオルガンはなくてはならない遊び道具となり、のめり込んでゆくのだった。しかし、昭子が好きで、...
小説 田園のソナタ(7) 2023年1月6日 束の間のこと、その2人の男性店員は、木枠にいれられたオルガンを抱え持ち、玄関先まで来る。 すると静子のいる前、土間にその荷物を置き、「すいません」・「どちらの方へ置かれますか・・」と指示をあおぐ。 「そうですね、お上がりいただいて」・・・「こちらのほうへ」と静子は手まねきをし、家内へ案内をする。 オルガンをそのままに...
小説 田園のソナタ(6) 2022年12月23日 顧みれば、音楽好きだった両親。その筋を引き、昭子がピアノを始めることになったきっかけはこうであった。 国粋意識を秘める父、文太夫。国家存亡の経済運営の源となる化石燃料入手をはばまれた日本としては、その入手を阻むアメリカに対戦を挑むことになり真珠湾攻撃、第二次世界大戦介入。その混乱の世に生を受けた昭子であったためか、父、...
小説 田園のソナタ(5) 2021年3月29日 弾く手を止め、説明に聞き入っていた昭子は作品の内容の深さに改めて感嘆するのであった。再びピアノレッスンは始められる。 低音を、優しいスタッカートの連続伴奏形で弾き始め、中間楽節を挟み、可憐なリズムで始まる主題、ニ長調、中間部。 「杉谷さん、この低音、中間部の主題を踏襲し始まる後半楽節2部形式。オルゲルプンクトはこの作品...
小説 田園のソナタ(4) 2021年3月15日 昭子はふたたび弾きはじめる。あの、こやみなくしたたる雨だれ音のように弾かれゆくレ音。本来このレ音に帰属する機能をどのように解釈するかによって演奏に違いが出てくるわけだが、どちらかといえば昭子のテンポは速めで、繰り返される音ははっきりしているが特に意味内容は汲み取れない。等間隔に弾きつづけるレ音は単なる伴奏のようであった...
小説 田園のソナタ(3) 2021年3月1日 「この曲はベートーヴェンの抒情的な性格のあれこれが錯綜しているなか、旋律豊かで副次的声部に感情豊かなエピソードを冒頭楽章と最終楽章に満たしながら造られた曲なの」 昭子は楽譜を、秋子先生はその楽譜と彼女を見かわしながら説明を続ける。 「まずは冒頭から出てくる24小節のオルゲルプンクトをなすレ音、連続して弾き続けられるよう...
小説 田園のソナタ(2) 2021年2月1日 煙立つ霧、森は芽吹き始め、小鳥たちがさえずるかのような華やかなパッセージと第2主題の展開が交替する。そして、小結尾でさらに愛らしい新楽想が登場し、フォルテまで高潮し、急激にデクレッシェンドして提示部を弾き終えるのだが、昭子ははやる気持ちを抑え、流れるような対位がつけられた8分音符を弾きとおす。歌い過ぎず自然な流れを大切...
小説 田園のソナタ(1) 2021年1月18日 だからといって、日本音楽教育機関としては最高学術府である東京芸術大学以外で学べるところのあろうはずがないことを認識する昭子は、西洋音楽の本場、欧州への留学を夢想し始めるのであった。昨夜、同門の中村紘子氏のピアノリサイタルを聴くことによって膨らんだ疑問。今朝まで持ち越し引きずっていたその思いが、レッスン室に入ると緊張で払...